弁証法的唯物論とはどんな哲学か(3)

前回の終わりに「弁証法的唯物論は唯物論哲学の発展の最高段階である」というようなことを聞きましたが、いきなりそんなことを言われても、どういうことだか、どうしてそうなのか、 さっぱりわかりません。

■ 発展法則としての弁証法

もっともです。前回には唯物論と観念論のことを話しただけで、弁証法についてはまだなにも話しておりませんから、弁証法的唯物論とはどんな哲学か、ということは、まだ半分しか明らかになっていないのです。だから今回は、まず弁証法について説明します。

前回の終わりに、生物進化論のことと、社会は発展しているということとに簡単にふれました。生物だけでなく、自然は全体として発展しているのです。今日では、太陽の周りを、地球や、金星、火星などの惑星が回っています。これが太陽系ですね。だがこの太陽系も、永遠の昔からこう言う状態にあったのではない、ということが十八世紀以来分かってきました。

始めに星雲があり、それから今日のような太陽系が生まれた、というのがカント=ラブラスの星雲説です。
今日では、この星雲説がそのまま正しいとはされておらず宇宙塵説などの新しい学説がでていて、太陽系がどのようにして出来たかについては、まだ完全に明らかになってはいません、が、これは自然科学の発展が今後明らかにしてくれるでしょう。
だがいずれにしても、太陽系が永遠の昔から今日のようであったのではないことは、はっきりしています。夜空に輝く多数の恒星にも、幼年期、成年期、老年期の星が有って、非常に長い時間のあいだにですが、星が変化することが知られています。

※ 管理人 注
2007年現在、地球の誕生過程、その後の進化については相当程度精密な描写が可能となっています。宇宙進化についても次に述べられる生物進化についてのスケッチも同様です。

生まれたばかりの地球上には生物はいませんでしたが、そののち最初の生物が無生物から生まれ、生物が進化し、猿から人間が生まれました。
人間は非常に長いあいだ原始共同体と呼ばれる社会形態をとって生存してきましたが、そのあいだにも旧石器時代から新石器時代への発展があり、やがて青銅器時代に移ります。 そしてこの石器から金属器への移行とだいたい同じ時期に、地球上の先進的な地域であったエジプトなどで、奴隷制社会が成立したのです。

このように、自然にも社会にも、発展と言う事実があります。また人間の思考力(ものを考える力)も、猿から人間へと進化したばかりの時期には、現存の類人猿の思考力とそれ程違ったものではなかったでしょう。
だが前回に述べたように、生産活動を通して物質に働きかけることによって、人間はさまざまの知識を獲得してきました。このことは同時に、人間の思考力が発展したことを意味しています。

自然と社会、そして人間の思考・認識――これら全てが発展しているのです。そうだとすれば、これら全ての発展に共通の、一般的な発展法則がある筈です。このような一般的発展法則を研究する学問が弁証法と呼ばれているものです。

だいぶん難しい話ですね。発展があると言うことまでは分かるが、一般的発展法則なんて言われるとなんだか分からない。

そうでしょう。何もかも一度に分かろうとしても無理です。一般的発展法則のことは何回か後で詳しく述べます。そこまで行くには順序を踏んで行かなければなりません。ここではただ、自然も社会も人間の思考(認識)の全てを発展するものとしてとらえる考え方が、弁証法的な考え方と呼ばれる、と言うことを覚えておいてください。

■ 連関の法則としての弁証法

弁証法的な考え方のもう一つの特徴として言っておかなければならないことは、この考え方は、自然や社会や人間の精神活動を、バラバラの要素に切り離して、それらの要素を一つひとつ孤立させ、固定させてとらえるのでなくて、多数の要素が密接にかつ複雑に結びつき合っていることに注目し、これらの要素を互いに関係しあい連関したものとしてとらえる、と言うことです。
実際に、自然でも社会でも人間の精神活動でも、一つだけ孤立した要素と言うものはないのですから、それらをありのままにとらえようとすれば、当然、関係・連関に注目しなければならないのです。
ところが、人間と言うものはとかく、ある一つの要素に気がつくと、それだけにしがみつき、これを孤立させてとらえやすい傾向があるので、特にそう言う誤りに陥らないように努める必要があります。

弁証法的な考え方とちょうど正反対の考え方が「形而上学的な考え方」とよばれるものです。
「形而上学」と言う言葉は、奇妙な文字が並んでいる嫌な言葉ですが、「メタフィジーク」と言う 外国語を明治時代の人が翻訳する為にこんな奇妙な言葉を作ってしまったので、今日でも仕方なく使っています。
形而上学的な考え方は、事物をバラバラな要素の単なる寄せ集めと考える考え方であり、又、発展を認めず、自然も社会も人間の精神活動も、ただ同じことの繰り返しが行われているのだ、と考える考え方です。

「弁証法」だとか「形而上学」だとか言うものがあるということは、やはり、違った哲学がある、と言うことなのですか。

そうです。 「世界とはそもそも何であるか、物質であるか、それとも観念・精神であるか」と言う世界観的な問いにどう答えるかによって、唯物論と観念論と言う対立する哲学が生まれたように、「世界はどのようであるか」と言う世界観的な問いに対する違った答えとして、弁証法と形而上学とが生まれたのです。

弁証法と形而上学との対立も、非常に古くからありました。ただし注意しておきたいことは、唯物論と観念論との対立は、前回に述べたように、肉体労働と知的労働との分離と言う社会的・階級的な根があって、そこから出て来たものなのですが、弁証法と形而上学との対立は、そうではないと言うことです。

宗教のなかでも、キリスト教では、世界は神によって創られたものであり、世界には神の永遠不変の理法(おきて)がおこなわれているという考えが強いので、形而上学的な考えに傾いています(最後の審判の日がくるなどということをいって、変化をまったく認めない訳ではないけれども)。
仏教では、「諸行無常」などといって、この世の中の全てのものは常住不変ではなく、変化し滅びるということを強調します。もっとも、仏教の歴史観は、時代がたつにつれて世の中はだんだんと悪くなるという考え (末法思想)ですから、形而上学に反対しているとは言いながら、発展を正しく認める弁証法的な考え方だとも言えません。

いろいろな宗教のなかに弁証法の萌芽・要素はありますが、弁証法的な考え方が確立されたのは、やはり科学の発展によってであり、それも、さきに述べた星雲説や生物進化論以後のことであって、比較的新しいことなのです。

哲学では、古代ギリシャの哲学者たちは、だいたいにおいて自然や社会現象の全体を連関と運動・変化においてとらえており、素朴ではあるが弁証法的な世界観を持っていました。
ところが、自然や社会を研究するには、その全体の姿をとらえるだけでなく、それぞれの部分・要素を調ペる必要があると言うもっともな理由によって、部分・要素を全体から切り離して研究することが諸科学で行われるようになり、こうした科学における研究方法が哲学の中にも持ち込まれるようになり、17〜18世紀の哲学では、形而上学的な考え方が広く行われるようになりました。
18世紀のフランス革命の前夜にあたって、徹底した無神論を説く戦闘的・革命的な唯物論哲学が現れましたが、しかしこの唯物論は、当時の自然科学の影響を受けて、形而上学的な唯物論でした。

だいぶんこみ入った話になりましたが、細かいことはこの講座の回数が進んだところでまた述べるので、今は分からなくても構いません。是非わかって欲しい大事なことは、唯物論と感念論との対立も、弁証法と形而上学との対立も、非常に古くからあったけれども、弁証法と唯物論との結びつきはマルクス以前にはなかった、ということです。

この二つを結びつけて、弁証法的唯物論と言う科学的でかつ革命的な哲学をつくりだしたのは、カール・マルクス(1818−1883年)とフリードリッヒ・エンゲルス(1820-1895年)の偉大な業績でした。
そういう意味で、弁証法的唯物論は唯物論哲学の発展の最高段階なのであります。

弁証法と唯物論とをむすびつけて弁証法的唯物をつくるという、それ以前の人たちにできなかったことを、マルクスとエンゲルスはどうしてやることができたのでしょうか。

■ 弁証法と唯物論

その理由の一つは、十九世紀に諸科学が大きな発展を遂げて、唯物論と弁証法とが正しいことを証明する多くの科学的データが蓄積されたことです。
だがさらに大切な理由は、マルクスとエンゲルスが革命的労働者階級の立場に立つ思想家だったと言うことです。

世界観に関する問題の重要な一つは、世界(自然と社会)における人間の役割をどうとらえるか、と言う問題です。
宗教的世界観は、人間を無力なもの、神や仏に頼らなければならないものだと見ています。原始時代の人間は、例えば洪水のような自然の猛威に対して非常に無力でした。

だが人間は何千年ものあいだに、その労働によって自然の猛威に対抗する力を強めてきたばかりでなく、様々の自然力を利用することを学んで来ました。今や人間は自然に対して無力でないばかりでなく、自然に働きかけ、自然を改造する力さえ持っているのです。
労働の意義をはっきりととらえ、労働を通して自然において人間が果たす積極的な役割りを正しく評価できるのは、唯物論哲学です。なぜかならば、前回に述べたように、唯物論哲学は、直接的生産者たちの素朴ではあるが正しい世界観を真っ直ぐに受けつぎ、発展させてきたものだからです。

では、社会にたいしてはどうでしょうか。
奴隷制社会の末期に奴隷の大規模な反乱がおこなわれました。封建制社会では、各地で何回もくり返して、農民の一揆がおこりました。
これらの階級闘争は、奴隷制社会や封建制社会をゆり動かし、これらの社会体制の崩壊へと導く力になりましたが、しかし、奴隷も封建制のもとでの農民も、自分自身の力で新しい社会体制をつくる力をまだ持っていませんでした。
今ここでそれらの理由を詳しく述べることはできません(それは、社会発展史の研究課題です)が、実際に、奴隷制にかわって現れた封建制も、封建制にかわって現れた資本主義も、搾取の形態が変わっただけで、相変わらず搾取のおこなわれる階級社会でした。

だが労働者階級は違います。
労働者階級は、そのおこなう階級闘争によって資本主義社会を倒すだけでなく、自分自身の力で、搾取のない新しい社会体制を、すなわら社会主義社会、共産主義社会をつくる力を持っいる階級なのです。
マルクスとエンゲルスは、労働者階級をこのような階級として理解し、その立場にたって歴史・社会を理解したのでした。

今や、労働者階級としての人問は、社会に対してもまた、無力でないばかりか、その階級闘争をとおして社会を変革する力を持っているのです。 このことは、世界における人問の役割りという世界観的問題を考えるにあたって、決定的に重要なことです。
前回には、奴隷と農民と労働者とを区別しないで、労働する人びと、直接に生産活動に従事する人びととしてとらえ、これらの人びとが体験を通してつかんでいる素朴な世界観が唯物論哲学の出発点である、と言うことだけを述べました。
だが今や、とくに労働者階級を、他の直接的生産者の階級と区別する必要があります。それは、唯物論哲学の発展の最高段階である弁証法的唯物論には前述のような労働者階級の社会を変革する積極的な力を正しく評価し、その立場に立つことによってのみ到達することができるからです。

弁証法的唯物論が労働者階級の哲学だ、ということがやっとわかりかけてきたような気がします。
でもまだ良くわからない。
労働者階級が新しい社会体制をつくる力をもっているということと、唯物論がとくに弁証法的唯物論であるということとは、どういう関係があるのですか。

■ 18世紀唯物論者の限界と誤り

その点を説明しましょう。前にちょっとふれた18世紀のフランスの唯物論哲学は、自然を徹底的に唯物論的に理解し、霊魂の不滅や神の存在を否定しましたが、しかし未だ社会を唯物論的に理解することができませんでした。
その理由の一つは、かれらの唯物論が形而上学的であった、つまり、発展の見地にたっていなかった、ということにあります。
前に述べたように、自然も発展しているのですけれども、自然の変化・発展には非常に長い時間が掛かるので、発展の理論を持っていなくても、つまり弁証法的な考え方をしていなくても、自然をある程度まで正確に(勿論完全にではないけれども)研究し理解することが出来ます。
だが社会は、わずか数千年のあいだにも非常にに大きな変化・発展をするので、弁証法的な考え方に立たない限りこれを正しく唯物論的にとらえることができないのです。

18世妃のフランスの唯物論者たちは、革命的な人たちでしたから、現存のフランスの社会制度を誤ったものと考えており、これを変革しようとして闘っていました。
しかし、彼らは、歴史を発展過程としてとらえなかったので、過去の一切は誤りであり、不義・不正であると考え、それを一挙に覆して、理性的な正しい社会をつくろうとしたのです。

――ではどうすれば正しい社会がつくれるのか。
過去が不義・不正の歴史であったのは、人々が迷信など正しくない観念を持っていたからである、だからこれらの正しくない観念を一掃して、人々が理性的な考えを持つようになれば、正しい社会が生まれる――彼らはこう考えました。
つまり、人々の観念が変われば現実の社会制度が変わるという訳です。これが、観念が元のもの、支配的なものだと考える、観念論的な歴史観であることは、言うまでも有りません。

この考えに、彼らの第二の誤りが結びついています。
それは、彼らが大多数の人間をどう見ていたか、と言うことに関係しています。
かれらは、人間にとって生活条件・生活環境がどんなに大切かと言うことを知っていました。
長時間で過重な労働、狭くて不潔な住居、貧しい食物――このような条件のもとで多くの人々が生活している限り、盗み、泥酔、喧嘩などの道徳的退廃が大衆の中に広がることは避けられません。
つまり、環境が悪いと人間は悪くなるのです。これは確かに、唯物論的な人間の理解です。生活条件を改善しないで、ただお説教を聞かせても人間は良くならないのですから。

しかし、この重要な生活条件の改善を誰がやるのか、という問題で、フランスの唯物論者はつまずきました。
彼らの考えは、先に述べたように、人々の観念を変える事によって、歴史・社会を変えようとしていたのですから、大衆はただ環境の作用を受ける受動的なものと見なされており、すぐれた少数の識者によって良い法律が作られ、これによって社会環境が変えられることに期待せざるを得なかったのです。

■ 弁証法と唯物論の統一、新しい世界観の誕生

さて、マルクスとエンゲルスの時代は、前述のフランスの唯物論者たちが活躍した時代より約100年のちです。
1831年にはリヨンで最初の労働者の蜂起が起こり、1838〜1842年にはイギリスで最初の国民的労働運動である「チャーチスト運動」がその頂点に達していました。
いまや、労働者階級は、他人によってその生活環境を良くしてもらうことによって初めて良い人間になれるような、受動的な大衆ではなく、自分の力で社会的環境を変えて行く力を持つ、変革的実践の主体として歴史の舞台に登場していたのです。
マルクスとエンゲルスはこのことに注目しました。これは世界に於ける人間の役割と言う、世界観的な問題の捉え方の転換を意味します。

労働者階級としての人間は、その労働と階級闘争とによって、世界を変革する力を持っている
―― マルクスとエンゲルスは、先の世界観的問題をこのように積極的・肯定的に解決したのです。
そしてこのことは、彼らが労働者階級の立場に立ち、その歴史的な役割を理解したからこそできたことなのです。
同時にこのことは、彼らがフランス唯物論者たちの一面的な人間観を克服したことを意味します。
「人間は環境によって変化させられる」、「人間は環境に働きかけてこれを変化させる」――この二つの側面を連関において、すなわち弁証法的にとらえることが出来なかったので、フランスの唯物論者たちは前の方の側面だけを切り離し、これに固執したのでした。
マルクスとエンゲルスがこの一面性を克服できたのは、彼らが弁証法的な考え方をしたからこそです。

さらにこのことは、歴史の唯物論的理解と繋がっています。
人間を、その労働と階級闘争とによって世界を変革するものだと捉えたからこそ、歴史は人々の観念の変化によって(これを根本動力として)発展してきたのでなく、労働する人間の自然を変革する力の高まりと階級闘争とによって発展してきたのだ、と言う歴史の唯物論的理解が可能になったのです。(このことをもっと正確に表現すれば、まず生産力が発展し、このことによって生産力と生産関係との矛盾が激化し、この矛盾の現れである階級闘争を通して社会は発展する、と言うべきです。しかし「生産力」とか「生産関係」とか言うことは史的唯物論で学ぶことなので、われわれの学習ではもっと先になってから学ぶことになります。
それですから、ここではさきのやや不正確な言い方で一応満足しておいて下さい)。

さて、社会・歴史を唯物論的に理解することが出来るようになって(つまり、史的唯物論が成立して)初めて、世界の全体を徹底的に唯物論的にかつ発展の見地から理解することが出来るようになりました。
つまり、弁証法的唯物論と言う科学的世界観が成立したのであります。
だから、以上に述べたことから分かるように、

  • 労働者階級の立場にたち、その歴史を変革する役割を認めること。

  • 世界に於ける人間の役割と言う世界観的問題を、積極的・肯定的に解決すること。

  • 歴史を唯物論的に理解すること(史的唯物論の成立)。

  • 弁証法的な考えに立って世界を一貫して唯物論的にとらえること(弁証法的唯物論の成立)。

 

と言う四つのことは、どの一つが欠けても他の三つが成り立たなくなるような密接な関係で結ばれています。
マルクスとエンゲルスが1840年代(まさにマルクス主義が成立した時期。『共産党宣言』が出たのは1848年)に書いたものをくわしく研究すれば、上述の四つのことがかれら二人の思想家の頭脳のなかで、どのように深く結びつきながら成熟していったかを知ることができるでしょう。

そう一気にまくしたてられても、わからない点がいくつも残ってしまう。だが、弁証法的唯物論というむつかしい名前の哲学が、「労働者階級としての人間は、その労働と階級闘争とによって、世界を変革する力をもつている」ということの理解なしには成文しなかったのだ、という話は、胸にひびくような感じがします。

大切なことをしっかりつかむようにしてください。
細かいことがわからないままで残っても、何回も読み直すあいだに少しずつわかってきます。学習というものはそのようにして進むものですから。

一言つけくわえておきます。
唯物論と弁証法とを結びつけるといっても、前の時代にすでにできていた唯物論(たとえば、18世紀のフランス唯物論)と弁証法(たとえば、ヘーゲルの観念論的弁証法)とを結びつけさえすれば、弁証法的唯物論ができる、という意味ではありません。

弁証法的唯物論の成立は、さきに述べたように、労働者階級の階級的立場にたつことによってはじめて可能になった、新しい科学的世界観の成立を意味しています。
また弁証法的唯物論と史的唯物論も、どちらが先にできたというものではなく、弁証法的な考え方をしたからこそ歴史を唯物論的にとらえることができたのであり、また、歴史を唯物論的に捉えたからこそ世界の全体を発展するものとして統一的に把握する科学的世界観が成立したのです。
両者をマルクス主義哲学の二つの部分として分けるのは、一度に二つのことを書いたり学んだりできないという理由によるものにすぎません。

 


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