史的唯物論について、少しまとめてみたいと思います。
史的唯物論を取り上げようと思った理由は次の二つです。
この掲示板(注、某掲示板)では、土台(下部構造)、上部構造、生産力、生産関係、革命、権力等と言った史的唯物論のカテゴリーが頻繁に、しかし必ずしも統一感無く出てきます。
その辺を少しまとめたら、それぞれのカテゴリーの位置づけがはっきりするのではないか、と言うこと。
今の日本の、特に若い人の中に、将来に対する閉塞感のようなものが蔓延しているのではないか、と言う思いが有ります。
先日、朝日新聞だったか日経だったか、興味のある記事が載っていました。
若者が酒を、それも会社や上司の愚痴を言いながらの酒を飲まなくなったそうなんです。
その理由として、一つには、携帯電話などにお金が取られ、飲み屋に回す分が少なくなったと言うことですが、もう一つとして………、
会社の愚痴や上司の悪口を言いながら酒を飲んで、ストレスが解消されるためには、将来その悩みや問題点が解決される見通しがないとダメだというんです。
今は、頭に来たりイライラするけれども、将来、例えば自分が課長になったらきっと上手くやれる、と言うような将来の救いがないと、今のイライラが「酒の肴」にならない、と言う訳です。
言われてみると確かにそうです。成る程な、と思いました。
依然として高止まりな失業率・リストラ、倒産。年間 3 万人を超す自殺者。すっかり風景に溶け込んだホームレスのビニールシートハウス。
年収 100 万円台のフリーター生活、結婚さえも難しく、安心して子供も生め無い状況(実際それは統計に出ています)。払えない年金保険料、貰えない(かも知れない)年金。
消費税アップの確実な予感。他人が信じられなくなってきた風潮。
地球環境の悪化、漠然とした戦争の不安。
今までの歴史では、親よりも子供が、確実に豊かな環境を享受して来ました。それが親にとっても安心で幸せなことでした。今、必ずしもそう言えない時代になっています。
…アッ!!勿論、「今の日本が最高」と言える人が、少数では有るがいらっしゃると言うことは充分承知していますよ。
将来への閉塞感・展望の無い状態での厳しさ、押さえつけられている状態は、そのままでは必ずしも現状打開への生産的なエネルギーに結びつきません。
私は、将来への展望が無い状態での現実の厳しさは、ややもすると次の三つの方向に人を、特に若者を向かわせるのではないか、と思っています。
資本主義の矛盾の深まり、現実の厳しさが、それだけでは必ずしも社会変革の方向につながりません。
矛盾、厳しさの原因の科学的解明と、同時にその先の展望を明確に与えられたときに、抑えられ鬱屈したエネルギーがその展望実現の方向にすっきり向かうのだと思います。
今、日本の庶民は充分に痛めつけられています。必要なのはそれを打開できる展望です。 史的唯物論はその展望を、説得力を持って与えてくれる科学だと思っています。
最初に、史的唯物論の位置づけについて簡単に述べておきます。
マルクス主義は三つの構成部分から成り立っています。
さらに哲学は、「弁証法的唯物論」と「史的唯物論」という二つの部分から成り立っています。
弁証法的唯物論は、マルクス主義の世界観、つまりこの世界(自然と社会)についての基本的な見方、立場です。
そして史的唯物論は、人間の歴史と社会にこの弁証法的唯物論を適用したものと言って良いでしょう。
従って順序としては、最初に弁証法的唯物論を理解して、次に史的唯物論に進む、と言うのが順当だと言えるかも知れませんが、上記で述べた理由も有り、取り合えず史的唯物論からスケッチして見ようと思います。弁証法的唯物論についても機会が有ったらまとめて見たいと思います。
史的唯物論の一番の眼目は「人間の歴史と社会を法則的に理解する」ことです。
しかしここで問題になってくることが有ります。果たして、人間の歴史や社会に法則が有るか、と言うことです。
自然に法則があることは誰も否定しないでしょう。
アメリカでもイラクでも日本でも、水は1気圧100度Cで沸騰しますし、水素と酸素を一緒にして火を付ければ、爆発して水になります。
飛行機が空を飛ぶのも、ボーキサイトからアルミを精錬するのも、水田で稲を育て米を収穫するのも、全て自然の法則に沿ってのことで、法則を無視しての実践は法則のしっぺ返しを受けます。
またこの件についての疑問や意見の違いは、実験などによって比較的容易に検証することが出来ます。
「創造論」が未だに生き永らえていられるのは、自然の出来事であっても地球の歴史や生物の進化は一度きりのことで、再現が難しいことによるのでしょう。
しかし自然に法則が有ることを認めても、人間の社会や歴史に法則が有ることを認めない人は(学者を含め)、大勢居ます。
人間の社会においては、一切の行為が、人間の意思・観念を伴った行動の結果であり、それが歴史を作る訳で、特に英雄や偉人の個人的な観念が、直接歴史を作る推進力で有るかのように見えます。
歴史と社会は法律や政策によって動き、その法律や政策は人間の考えによって作られるのであり、主観的で、人によりバラバラな観念に基づいて作られた歴史が、そもそも法則など持ち得ない、と考えられるのは一見もっともなことのように思えます。
史的唯物論も、勿論人間の意志や、英雄、偉人が歴史に果たした役割を当然認めます。問題はそこに立ち止まって良しとするか、さらにその背景に踏み込むかどうかです。
マルクスとエンゲルスは、表面的には国王や英雄達の、その時々の意思や思惑が歴史の推進力であり、その時々の芸術家や宗教者によって文化が作られたように見える、その背後に有って、そのように人間を意識させ、行動させた、いわば「歴史の推進力の、その推進力」を解明したのです。
それが、「ある国民またはある時代のそのときの経済的発展段階」(エンゲルス)、あるいは同じことですが「物質的生産の発展水準」(レーニン)なのです。
エンゲルスはマルクスが死んだ時の短い追悼演説のなかで、「マルクスが発見したことは『人間は政治や科学や芸術や宗教などを営むことのできる前に、まずもって、食い、飲み、住み、衣服を着なければならない』という『簡単な事実である』」と述べました。
この『簡単な事実』の中に、史的唯物論の全てが凝縮されていると言えるでしょう。
つまり、ある国民又はある時代の、経済的発展段階、物質的生産の発展水準がどのようであったかが先ず明らかにされるべきであり、そのことにもとづいてその国民その時代の国家制度、法概念、科学、芸術、宗教の有り様が説明されるべきで、その逆であってはならない、と言うことです。
例えば信長が、「武田の騎馬軍団を破るために、鉄砲を使おう」と意識することが出来る為には、そのときに鉄砲の生産が、そのための鉄や火薬の技術が、そしてその職人が専門で従事できるための、食料や衣服の生産が一定のレベルに達していることが前提になります。
その前提が全く無い時代には、それを意識することさえ出来ません。
聖徳太子が「証券取引所」を作ろう、などと絶対に意識しなかったのも、同じく生産=経済の状況によるものです。
従来の歴史は、「偉い」とされている国王や政治家や将軍などのやったこと、たとえば何年にどこの国と戦争をやって勝ったとか、これこれの新しい政治制度をつくったとか言うことを主に述べていて、それ以外には、文化史とよばれる領域で科学者や芸術家や宗教家のやったことが述べられているだけでした。
勤労人民大衆の姿が歴史の本に現われてくることは殆ど有りませんでした。
けれども、国王、政治家、将軍、科学者、芸術家等々がそのような活躍をすることができる為には、かれらはまず「食い、飲み、住み、衣服を着なければならなかった」のであって、このことができるためには、衣食住に必要な物資が(さらに、戦争に必要な武器等々が)生産されていなければならなかったし、そしてこれらを生産したのは、それぞれの時代の勤労人民大衆であった訳です。
この立場に立ったとき、初めてほかならぬ勤労人民大衆の、歴史における役割とその労働の意義が理解出来る訳です。
前回、エンゲルスのマルクスへの追悼演説、「人間は政治や科学や芸術や宗教などを営むことのできる前に、まずもって、食い、飲み、住み、衣服を着なければならない」という『簡単な事実』について述べました。
マルクスが出発点にしたこと、そして史的唯物論が歴史をとらえるための出発点にしていることは、エンゲルスが指摘したように、この簡単で平凡な事実です。
しかしこの簡単で平凡な事実も、マルクス以前の歴史観では問題にされなかったことです。
それまで歴史とは、その時々の英雄や偉人、芸術家や宗教家の意思や行動の、いわば無秩序で偶然的な寄せ集めとされていた訳で(歴史に法則性を認めないとすれば、必然的にそうならざるを得ない)、せいぜいその出来事を総括し、今後に生かすことに意義を認めるとされていた程度に過ぎません。歴史の勉強は、いわば暗記の学問だった訳です。
このような歴史観が行き渡っている中では、先の『簡単な事実』もそれに覆い隠されていた訳であり、やはりマルクスの天才・非凡をもって初めて発見される事実で有ったのです。
問題は、そして重要なことは、それまでの歴史家が着想できなかったこの『簡単な事実』を、マルクスはどうして発見できたか、と言うことです。
エンゲルスはこの問の事情を『空想から科学へ』の第二章で、次のように述べています。
………歴史観に決定的な方向転換を引き起こした歴史的諸事実は、それよりもずっと前〔自然観の急転回が行われるよりまえ〕から効力を現していた。
1831年にはリヨンで最初の労働者の蜂起が起こった。1838年―1842年には、最初の国民的な労働運動、すなわちイギリスのチャーティスト運動がその頂点に達した。
一方では大工業が、他方では新たに獲得したブルジョアジーの政治的支配が発展して来たのにつれて、プロレタリアートとブルジョアジーとの階級闘争が、ヨーロッパの最も先進的な国ぐにの歴史の前面に現われてきた。
………これらの新しい事実に迫られて、これまでの歴史の全体が新しく研究しなおされるようになった。 そしてその結果、次のようなことが明らかになった。
すなわち、これまでのすべての歴史は、原始状態を別にすれば、階級闘争の歴史であったということ、社会のなかのこれらの互いに闘いあう諸階級は、いつでもその時代の生産関係と交易関係との、一言で言えば経済的諸関係の産物であるということ………
つまり、マルクスがエンゲルスの協力を得て史的唯物論という新しい歴史観を仕上げることが出来たきっかけになったのは、その当時すでに始まっていた、プロレタリアートとブルジョアジーとの階級闘争に注目し、この事実に導かれて、「これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史である」(「共産党宣言」)ということを見いだしたことでした。
かれらは、歴史を階級闘争の歴史としてとらえた後に、それでは何故階級闘争が起こるのか、とその原因を問い求めることによって、互いに闘いあう諸階級は経済的諸関係の産物であるということを発見したのです。
「空想から科学」からの引用どおり、マルクスやエンゲルスも、最初からいきなり歴史が階級闘争の歴史だということをとらえた訳では有りません。
かれらがまず目をつけたのは、かれらと同時代および比較的近い過去の歴史についてであり、それが階級闘争の歴史であることをつかんだ後に、さらに古い時代の歴史を振り返ってみて、そのような古い時代の歴史をも含めてこれまでの全ての社会の歴史が階級闘争の歴史であることを認識したのです。
その後さらに、『共産党宣言』が書かれた1847〜1847年にはまだハッキリ分かっていなかったことなのですが、文書に記された歴史よりも前に、階級のない「原始共同体」と呼ばれる社会状態があったことが事実に即してあきらかにされてきたので、エンゲルスは「これまでのすペての歴史は、原始状態を別にすれば、階級闘争の歴史であった」と書くようになったのです。
ここで分かるように、マルクスもエンゲルスも、最初に歴史全体を通して研究し、一般的命題として、歴史を階級闘争の歴史として捉え、互いに闘いあう諸階級は経済的諸関係の産物として捉えたのでは有りません。
彼らが現に生きた時代、或いは近い過去の時代の具体的な出来事に着目し、その研究の中から、その時代の具体的命題として捉えたのです。
そしてその知見に基づいて、改めて過去の歴史を振り返って見たのです。
マルクスもエンゲルスも、常に「具体的」です。
具体的ということは、現実に足場を置いていると言うことでもあります。
上記でマルクスもエンゲルスも、最初に歴史全体の研究から、一般的命題として、歴史を階級闘争の歴史として捉え、互いに闘いあう諸階級は経済的諸関係の産物として捉えたのでは無く、彼らが現に生きた時代、或いは近い過去の時代の具体的な出来事に着目し、その研究に基づいて、その時代の具体的命題として捉え、そしてその知見に基づいて、改めて過去の歴史を振り返って見たのだと述べました。
この件について、少し付け加えることが有ります。
資本主義の発達は、異なる階級同士の関係を単純化しその経済的利害関係とその結果としての、さまざまな政治的闘争との間の因果関係を、あからさまにしてくれると言うことです。
当時のヨーロッパ、特に産業革命が先行したイギリスとフランスでは、資本主義と大工業の発達により、一方で産業ブルジョアジーの台頭と、もう一方に多くの労働者階級、つまりプロレタリアートを生み出しました。
それまでの支配階級であった封建地主貴族を含め、この三大階級の利害の衝突が、結局は歴史の推進力だと言うことが、誰の目にも分かる形で現れて来たのです。
それまでの古い時代、つまり封建制社会までは、表面的な政治闘争や事件が、民族の闘争であるとか、宗教や思想の違いによる闘争であるとかいう衣に覆われていて、それらの諸事実の基礎にある階級と階級との闘争と言う基本的な事実が、目につきにくい状態にあったのです。
しかしフランス大革命は、そう言った宗教上の衣を必要とせず、直接ブルジョアジーが絶対的・封建的土地所有を徹底的に廃棄したブルジョア民主主義革命でした。
血の弾圧に終わった、リヨンの労働争議(1831)、チャーティスト運動(1838-1842)も、他の一切の飾り物を必要とせず、直接労働者階級が自分達の待遇と権利を求めて立ち上がった事件でした。
『共産党宣言』は、同時代の歴史を念頭において、簡潔に次のように述べています。
「現代、すなわちブルジョアジーの時代は、階級対立を単純にしたという特徴を持っている。全社会は、敵対する二大陣営に、直接に相対立する二大階級に、すなわらブルジョアジーとプロレタリアートとに、ますます分裂していく」
つまりマルクスとエンゲルスは、階級対立が単純化されている時代である現代(当時の)について、その具体的考察から先ず始めて、そこで得られた知見をもとに、過去に遡って再検討、再認識した訳です。
誰の目にも分かるように単純化したという事情は、資本主義がさらに頂点まで発達した今の日本でハッキリしていると思います。
前回の参院選では、資本の総本山である経団連が、今までに無く前面に出ました。
各政党に、資本に都合の良いマニフェストを競わせ、それに基づいて政治献金をすると言う始末です。
今回の日歯連の政治資金の問題も、業界が直接政治を金で買ったことです。
そもそも政治献金というのは、それが効果を発揮すればワイロ、効果が無ければ株主への背信と言われる行為ですが、今やおおっぴらに経団連が中心になって取り仕切っています。
諫早湾の工事差し止め判決が出ましたが、この工事くらい無駄がハッキリしているものはありません。
膨大な税金を掛けて、環境破壊、漁業破壊をして、しかもその効果と言われるものは何も有りません。農地の造成などの口実は、今や当の農林省が減反を押し付けている現状では何をかいわんや、です。
つまり、ゼネコンの儲けとそこからの政治献金、天下りなど、政、官、財トライアングルの典型です。
今や環境であれ、福祉財源であれ全てにわたって、本当の解決には資本との対決抜きには出来ないことが、誰の目にもあからさまになっています。
前置きが長くなり、気が引けます。
そろそろ史的唯物論の中身に入りたいと思います。最初に「生産力」と「生産関係」です。
「生産力」と「生産関係」は史的唯物論の最も基礎的なカテゴリーです。特に生産関係は重要です。
「生産力」は、そのままズバリです。
理屈っぽく言うと、「生産活動の際、人間が自然に働きかけるに当たって発揮する能動的な力」と言うことになります。言わば、人と自然との関係です。
生産力は、目的を持った「人間の労働」が、道具や機械などの「労働手段」を介して、自然や原材料である「労働対象」に働きかけることで成立します。
労働手段と労働対象を合わせて「生産手段」と言いますが、この二つは人間の労働が加えられて始めて生産力となりうる訳で、一番重要な要素は人間であり、その労働です。
次に「生産関係」です。
マルクスの『賃労働と資本』(1849)を引用します。
生産の際に、人間は、自然に働きかけるばかりでなく、また互いに働きかけあう。彼らは、ある一定の仕方で共同して活動し、その活動を互いに交換することによってのみ、生産する。
生産する為に、彼らは互いに一定の連絡や関係を結ぶが、これらの社会的連絡や関係の内部でのみ、自然に対する彼らの働きかけが行われ、生産が行われるのである
つまり、人間は一人では生産をすることは出来ず、人間同士の一定の関係やつながりの中で、始めて生産とその交換を行うことができる、と言うことです。
そしてこのような、生産を行うにあたって結ばれる社会関係が「生産関係」とよばれるのです。生産過程においての、言わば人と人との関係です。
ただ、例えば豆腐屋さんが豆腐を作って、近所の人に買ってもらったり、大工さんや左官屋さんの共同作業で一軒の家を建てる、と言うような「一定の連絡や関係」を、生産関係とは普通言いません。
生産関係とは、生産手段(労働手段と労働対象)の所有との関係で言われることです。
つまり、生産手段を所有する人と、これを所有しない人がいて、後者は前者が所有する生産手段を使用しなければ生産活動が出来ない場合、そこで成立する生産関係は必然的に、支配=被支配の関係になりますし、生産手段が社会的に所有されている場合には、そこで成立する生産関係は、人々の平等な相互協力の関係にならざるを得ません。
このように見てくると、生産関係は階級と極めて密接な関係にあることが分かります。
前回までくどくどと、階級と階級闘争について触れたのはこの布石でも有りました。
ある社会が、どのような階級を含むか、例えば奴隷主の階級と奴隷の階級とか、資本家階級と労働者階級とか、或いはその社会が全く階級の区別を持たないかと言うことが、生産関係のいかんによって決まる、と言うことが分かってきます。
そしてその社会が、階級を持つか持たないか、持つ場合にはどのような階級の区別を持つかと言うことは、その社会の基本的な性格を決定付けます。
だからマルクスは、先の『賃労働と資本』で続けて次のように述べています。
全体としての生産関係は、社会的関係、社会と呼ばれるものを、しかも一定の歴史的発展段階にある社会、独特で特色のある性格をもった社会を、形づくる。古代社会、封建社会、ブルジョア社会は、そういう生産関係の全体であり、同時にそれぞれ、人類史上の特別の発展段階をあらわしている。
端折って言えば、主要な生産関係がどうで有るかによって、その時の社会全体がどうであるか、が決まり、歴史は生産関係の交代を通して発展する、と言うことです。
生産関係は、(基本的に)生産力の発達に伴い変化、交代します。
前回、
>主要な生産関係がどうで有るかによって、その時の社会全体がどうであるか、が決まり、歴史は生産関係の交代を通して発展する………、
と、書きましたが、では次にこの「生産関係」はどのようにして変化・交代するか、と言うことについて述べて行きましょう。
結論から言うと、その要因は生産力の発展、です。
生産力は人間の歴史を通して、不断に漸次的に、時には急激に発展してきました。
生産力の発展を促した要因は、主に労働手段、つまり道具の発達によるものです。
この生産力の発展に応じて、それに照応する形で生産関係も変化・交代して行きます。
ここで注意すべきことは、生産力は不断に漸次的に、つまり連続的に発展しますが、生産関係の変化はそうではないと言うことです。
生産関係は一旦確立されると、しばらく(見た目安定的に)その生産関係が継続します。例えば、封建的生産関係が一旦成立した後は、しばらくそれが続くと言うように。
生産力に照応して新しく確立された生産関係は、最初、生産力の一層の発展を促します。しかし、生産力がより増大して行き、その水準がある限度を超えたとき、それまでの生産関係は、この高い生産力に対応できないものとなり、「これらの関係(生産関係)は生産力の発展の為の形態からその桎梏に変わる(マルクス-経済学批判)」のです。
子供の体に合った衣服が、当初体の成長に寄与するが、体が大きくなるにつれ、衣服が合わなくなって次のサイズに替える必要が出てくる、と同じことです。
この場合、身体の成長が「生産力」であり、衣服の交換が「生産関係」の交代に照応している訳です。
この、生産力と生産関係の矛盾が抜き差しなら無いところまで来たとき、古い生産関係は高い生産力に照応したものに変化せざるを得なくなって行きます。
この、生産力と生産関係を含めた生産諸関係の総体が、その社会の経済構造を形成します。これを史的唯物論では「土台」と言います。
土台が有るからには、当然その上に「上部構造」が有ります。
「土台」「上部構造」と言う表現が、建築物を念頭に置いていることは言うまでも有りません。土台が有ってこその上部構造であって、土台がひっくり返れば上部構造もひっくり返る、と言うこともこの表現で表しています。
では土台に例えられる「社会の経済構造」に対し、上部構造に例えられるのは、社会の何でしょうか。
紙幅の関係で、端折って言えば、先ず「法律的および政治的上部構造」が有って、これに「一定の社会的諸意識形態」が照応しています。
つまり土台の「経済構造」が確立されると、それに基づいて、その経済構造に対応した法律や、政治機構が形作られ、そして、その上に「一定の社会的諸意識形態」、つまり宗教、哲学、文化、などが形成されます。
封建的生産関係の土台の上に、身分制度や移動の制限などの法的・政治的処置が取られ、そのうえに、身分制度を反映した、近松の心中もの義太夫が流行る、と言った状況です。
上部構造は土台を反映したものですが、単なる受身ではなく、土台に対し反作用を及ぼします。
身分制度を厳格に定めた法律的上部構造が、一旦確立されると、それは封建的生産関係を維持強化する為の作用を果たします。
又、土台が変わっても「社会的諸意識形態」が完全に変わるまでには時間がかかります。封建制から資本主義に土台が変わっても、家柄だとか門地などの意識はしばらく残存します。
いずれにしてもこの辺の詳細は、次回以降で具体的に見て行きたいと思います。