原始共産制からの続きです。
貧弱な生産力に照応した生産関係としての原始共産制も、その中で徐々にではあるが生産力が上がってゆきます。
その主な要因が道具の発達であることは既に述べました。「石器時代」「青銅器時代」「鉄器時代」と言う歴史区分用語自体、道具の発達が社会全体の様相を変えてゆくことの、一つの証明でしょう。
同時に生産力発展の大きな転機になったのが、農業の発明でしょう。
今から1万数千年前、最後の氷河期が終わるに伴い、植物が繁茂し、獲物の動物も多彩にそして豊富になり、人間の採集狩猟も活発になってゆきます。
やがて地球上のいくつかの地域で、農耕や牧畜が始まり、次第に他の地域に広がってゆきます。
それまでの狩りなど採集経済と比較して、農耕と牧畜は食糧生産を安定的に増大させました。同時に、穀物は乾燥することで保存・貯蔵が可能となり、牧畜も獲物の「保存・再生産」を可能としました。
偶然に左右された、不安定な狩猟に比べ、人類は始めて餓死と隣り合わせの生活から脱却できるシステムを手にしたと言えるでしょう。
生産力の増大と保存の可能性は、その生産を搾取する可能性を生み出しました。
一人の人が必死に働けば、その人がカツカツ生きられるだけでなく、多少の余剰が出るまでになり、しかもそれを貯蔵できると言う条件の下で、始めて人を奴隷として働かせ、その余剰生産を搾取する余地が生まれてきたのです。
そして実際、約5000年程前に、地球上の先進地域で有ったエジプトなどで、奴隷制社会が成立します。石器から金属器への移行の時期に当たります。
生産力の発展が、原始共産制という生産関係から、奴隷制と言う新しい生産関係への移行を促したことになります。
逆に新しい生産関係への移行は、生産力のより高い段階への飛躍に道を開きます。
それまでの原始共産制では、争いごとでの捕虜は殺したり逃がしたり、つまり「無駄」にするしかなかったのを、奴隷として「活用」することが出来るようになったのです。
このことは戦争の性格も変えて行きます。奴隷の確保が戦争の主要な目的の一つになりました。
戦争の性格は常に、その時の生産関係を反映します。
奴隷の供給源は、戦争捕虜のほかにもう一つ、債務奴隷が有ります。
最初土地も作業も共同だったでしょう。共同体全員が力を合わせないと土地の生産的活用が出来ない程度に生産力が低かったのです。
しかし次第に、土地も牧畜も家族単位での生産的利用が可能になり、家族的所有の部分が増えてきたのでしょう。
私的所有の拡大経過の中で、所有と、従って分配の不公平が生じ、同じ氏族社会の中で片方に富の増大と、片方に自分の身さえ奴隷として売らざるを得ない立場を作り出したのでしょう。貨幣経済の進展がそれに拍車をかけました。
奴隷制社会の出現は、同じ共同体の中でも、搾取する側とされる側の、お互い利害の対立する二つの階級に分解・分裂したことを意味します。
生産力と生産関係、そして土台については、覚書5、6で述べました。
この土台を反映する形で、壮大な上部構造が形成されます。上部構造は土台の反映ですが、単に受身一方では有りません。一旦形成された上部構造は土台に反作用します。
以上「奴隷制社会」の一般的モデル?、について述べて来ましたが、実際は時代によっても地域によっても、その具体的状況はそれぞれ違います。
又、「奴隷制社会」と言ってもその社会の生産関係が、奴隷制一色で有る訳では有りません。その事情は、奴隷制についで展開される封建制、資本主義とも共通です。
例えばローマ帝国は世界史上稀なほど奴隷制を発達させたと言われますが、そこでも自作農民、地主・小作関係が混在し、ローマの富裕層(元老院議員、高級騎士など)による、ドムス(高級戸建て住宅)や土地への投資が盛んに行われていたと言われます。
つまり、現在の資本主義を髣髴させるような状況を含め、色々な生産関係が混在している訳です。
又、時代による変化も当然あるでしょう。
私たちが「古代エジプト」と言った場合、ピラミッドもクレオパトラも、何となく一緒のイメージとして括ってしまいそうです。
しかし、例えばクフ王のピラミッドは、クレオパトラからしてもおよそ2500年も前のことです。今の我々からすれば、卑弥呼の時代より遥かに昔の時代に当たる訳で、これを一緒くたに考えられないことはいわば当然です。
続きです。
「奴隷制社会」と一口に言っても、時代により地域によりその発展段階は様々であり、なかなか「一般モデル」で表すことが難しいと言えるでしょう。
しかし、人類が長い原始共産制を抜けた後、始めて搾取と言うことを覚えたとき、エジプトでもメソポタミアでも中国でも、又日本でも、最初に手にした生産関係が、もっとも単純な搾取形態である奴隷制で有ったことは間違いないことだったでしょう。
ここで問題になるだろうと思われることが、エジプトの「ピラミッド公共事業説」、或いは、「そもそも古代エジプトの初期には、奴隷制は存在しなかった」説です。
原始共産制から、最初に抜け出した先進地域である「四大文明発祥の地」、特にその中で最も古く、かつ文明的影響も大きいエジプトで、若し奴隷制の存在に疑義があるとすれば、史的唯物論の根本にも関わることです。
この辺を、私なりに考えて見たいと思います。
早稲田大学の吉村作治教授率いる「早稲田大学古代エジプト調査隊」の、ピラミッド調査で、日本でもピラミッド・エジプト文明についての関心が高まったようですね。
その中で紹介されたこととして………、
ヘロドトス以来、ピラミッドは多くの奴隷を酷使して造られたと言う説が常識だったが、本当はナイル氾濫期の、自由農民を対象とした「失業対策」事業として、つまり造営そのものを一つの目的とした「公共事業」であったと言う説です。そもそもピラミッドの時代のエジプトに、奴隷制は存在していなかった、と言うのです。
その根拠として………、
要するに、ナイル川が氾濫して農作業が出来ない4ヶ月間の失業対策として、同時に国民全体の気持ちを一つにまとめる等の目的で、ファラオ(王)が行った公共事業だと言うことです。一人のファラオが幾つものピラミッドを造ったケースもこれで説明できる。
従って、建設労働者は奴隷ではなく、自由な国民が信仰心とファラオへの忠誠をもって、嬉々としてピラミッド建設に参加した、と言う訳です。
これは吉村教授の説というより、それまでのエジプト学の見解を、実際のピラミッド調査で補強し、日本にも紹介したと言うことでしょう。
この「ピラミッド失業対策・公共事業説」「この時期のエジプトに奴隷制は無かった説」は、関連書籍を見ても結構広く「定着」しているようです。
私は世界史や古代史について、全くの素人ですので専門家の上記主張に、どこまで対抗できるか自信は有りませんが、ここはやはり個人的にも上記主張をそのまま認める訳にはいかないものが有ります。
その辺について、私自身の見解を述べて見ようと思います。
皆さんからのご意見もお待ちしています。
勿論圧倒的に多かったのは、過酷な肉体労働に携わっていた農奴や、映画「ベンハー」で知られるガレー船の漕ぎ手だったりしたでしょうが、時代が下るにつれ、奴隷主はますます肉体労働だけでなく、管理的な仕事からも離れ、それに伴ってその代わりとしての知的労働にも奴隷が従事するようになっていったのです。
以上見てきたように、「ピラミッド公共事業説」の根拠とされている項目は、必ずしも奴隷労働を否定するものでは有りません。
100歩譲って、自由農民に対する失業対策を目的とした公共事業だったとしましょう。
では、その経費はどこから出たのでしょうか。
ヘロドトスの言によれば、10万人の人が20年間かけて建設したとあります。吉村教授たちの計算ではそれより内輪の計算のようですが、いずれにしてもこの「公共事業」の経費は莫大なものです。
仮に直接ピラミッドを造ったのが奴隷でないとしても、それを支えたのは数多くの農奴の生産で有ったでしょう。
上記でも書きましたが、一口に古代エジプトと言っても何千年に及ぶことです。その間に奴隷制の変遷もあるでしょう。
しかしエジプトに奴隷制が有った事は間違いありません。
「十戒」で知られるモーゼのエジプト脱出劇も、エジプトで奴隷とされていたイスラエル人を「約束の地」カナンまで導いた物語です。
繰り返しますが、人類がそれまでの原始共産制から、始めて搾取と言うことを覚えたとき、封建制でもなく勿論資本主義でもなく、一番単純な搾取形態である奴隷制から始まったことは、エジプトでもメソポタミア、中国、日本など、地域を問わず先ず疑問の余地の無いことだったと思います。