歴史を階級闘争の歴史としてとらえること

1 マルクスとエンゲルスはどのようにして歴史を階級闘争の歴史としてとらえることができたか

前回にわたしは、歴史に法則があること、それがどのような法則であるかを知ることによってはじめて、われわれは自分たちの社会的実践活動を社会の発展を促進する有効な実践であらしめることができ、弾圧や障害に屈しないで自信をもって実践しつづける勇気を持つことができるのだ、ということを述べました。

そして、史的唯物論はまさに、歴史に客観的な発展法則があること、またそれがどのような法則であるかということを教えている、歴史についての理論でありますが、マルクスとエンゲルスがこの科学的な歴史理論をうちたてることができたのは、なによりもまず、歴史を階級闘争の歴史としてとらえることによってであった、ということを述べました。
そこで今回は、それではどのようにしてマルクスとエンゲルスは、歴史を階級闘争の歴史としてとらえることができたのか、ということから述べることにします。

前何にすでに述べたように、『共産党宣言』には、「すべてこれまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である」と書かれいます。しかしマルクスやエンゲルスも、最初からいきなり歴史が階級闘争の歴史だということをとらえた訳ではないのです。
かれらがまず目をつけたのは、かれらと同時代および比較的近い過去の歴史についてであり、それが階級闘争の歴史であることをつかんが後に、さらに古い時代の歴史を振り返ってみて、そのような古い時代の歴史をも含めてこれまでの全ての社会の歴史が階級闘争の歴史であることを認識したのです。

さらにそののちに、『共産党宣言』が書かれた1847〜1847年にはまだハッキリ分かっていなかったことなのですが、文書に記された歴史よりも前に、階級のない「原始共同体」とよばれる社会状態があったことが事実に即してあきらかにされてきたので、エンゲルスは「これまでのすペての歴史は、原始状態を別にすれば、階級闘争の歴史であった」(傍点は筆者)と書くようになったのです。

この最後に述べたこと、すなわち無階級社会である「原始共同体」(「原始共産主義社会」ともいわれる)が存在したということ、および、それがどのような社会形態であり、この階級のない社会からどのようにして階級が生まれてきたのかということについては、この講座のもっとあとでのペます。
今回まず明らかにしておきたいことは、原始共同体のことは一応別にして、それ以後から彼らの時代に至る迄の全ての歴史を階級闘争の歴史としてとらえるのに、マルクスとエンゲルスはどうしてかれらと同時代及び比較的近い過去の歴史の研究から出発する必要があったのか、ということです。

過去および現在の歴史を見るとき、最初に目につくのは、様々な政治的事件でありましょう。
国家と国家とのあいだの戦争や同盟関係の樹立、1国内では政権をめぐってのさまざまな争い、それも、君主制、貴族政治、共和制などの政治形態の変化をもたらす場合もあれば、同じ君主制のなかでの王朝の交代、共和制のなかでの党派の交代に終わる場合もあります。

また、これらの政治的事件にさまどまの思想が結びついていることも目につきます。
戦争にしても、イスラム教国とキリスト教国との戦争とか、キリスト教のなかでのカトリック(旧教)とプロテスタント(新教)との争いに関連する戦争の場合のように、宗教上のちがいが戦争の原因であるようにみえる場合がありますし、君主制を倒して共和制が打ち立てられた場合や植民地が独立した場合に発せられた「人権宣言」のように、奪うペからざる人権の擁護と言うことが大きな政治闘争の目的であったように見えることもあり ます。

また、異民族が侵入してきていわゆる征服王朝をうちたてる場合とか、かつての独立国を植民地にかえてしまう場合のように、歴史は民族と民族との闘争の歴史であるとみえる場合もあります。
―― だがこのように歴史を見ている限り、歴史は階級闘争の歴史であると言うことは、まだつかむことが出来なかったのです。
そして古い時代の歴史は、民族の闘争であるとか、宗教や思想の違いによる闘争であるとかいう表面的な(人びとの目につきやすい)事実におおわれていて、それらの諸事実の基礎にある階級と階級との闘争と言う基本的な事実が、はなはだ目につきにくい状態にあったのです。

歴史に客観的な法則があるということを発見するためには、いま述べたようなさまざまの表面的な歴史的事実をより深くとらえなおすことによって、歴史を動かし、おし進めている根本的な力がなんであるかを発見する必要がありました。
宗教上の主張のために闘っている人びと、基本的人権の擁護のために闘っている人びとにとっては、確かに、それらの観念的な動機がかれらを動かし、生命を賭しても闘うという決意をさせていたのであって、そのような観念的な動機が歴史の推進力になっているということは事実であります。
歴史をありのままにとらえようとするわれわれは、けっしてこのような覿念的な歴史の推進力があるということを否定するのではありません。

重要なことは、このような観念的な推進力を認めると言うところに立ちどまらないで、さらに一歩前進することにあるのです。だからエンゲルスは『フォイエルバッハ論』の第四章でつぎのように書いています。

「古い唯物論〔マルクス以前の唯物論のこと〕 は、歴史上ではたらいている観念的な推進力を究極的な原因とみて満足し、その背後にいったいなにがあるのか、この推進力の推進力はなんであるのか、それを研究しない………。その不徹底は、観念的な推進力を容認する点にあるのではなく、この推進力からさらに遡ってそれを動かしている諸原因にまでは進まない点にあるのである」

――ここでエンデルスは、過去の唯物論者たちが、自然を唯物論的にとらえることは出来たが、歴史を唯物論的にとらえることができなかった、ということを批判している訳ですが、しかしたんに過去の唯物論者たちは頭が悪かったから歴史の「推進力の推進力」がなんであるかを問わなかった、というような単純なことをいっているのでは有りません。
エンゲルスはさらに次のようにのべています。

「ところで、以前のすべての時代には、歴史のこのような推進的原因〔まえに「推進力の推進力」とよんだもののこと〕を研究することは――この原因とその結果との連関がこみいっており、覆い隠されていたために――ほとんど不可能であったが、現代はこの連関を単純化したので、その謎が解けるようになった」

さきにわたしが、古い時代の歴史は表面的な事実におおわれていて、それらの事実の基礎にある階級と階級との闘争という基本的事実が目につきにくい状態にあった、と述べたのは、いま引用したエンゲルスの文章の前半を念頭においてのことでした。では、エンゲルスが後半でいっている「現代はこの連関を単純化した」というのはどういうことでしょうか。
『フォイエルバッハ論』にはつづいてつぎのように述べられています。

――「大工業が確立されて以来、つまり、少なくとも1815年のヨーロッパの平和以来、イギリスに住んでいる人間には、この国の政治闘争全体が地主貴族とブルジョアジーという二つの階級のあいだの支配権配給要求をめぐって行われたと言うことは、もう秘密ではなかった。

フランスでは、ブルボン家〔フランス革命で処刑されたルイ十六世の属していた王家〕の王位復帰とともに、同じ事実がが意識されるようになった。ティエリからギゾー、ミニェ、ティエールへいたる王政復古時代の歴史家たちは、この事実が中世以来のフランス史を理解するカギである、といたるところで述べている。
そして1830年以来、この二つの国では、労働者階級すなわちプロレタリアートが、支配をめざす第三の闘争者であると認められるようになった。

事情はこのように単純化されていたので、ことさらに目をつぶらないかぎり、だれでもこの三大階級の闘争とその利害の衝突とが現代の歴史の推進力だということを見ない訳にはいかなくなった、――少なくともこの二つの再先進国では」。

これを読めばわかるように、「現代はこの連関〔原因と結果との連関〕を単純化した」ということは、大工業が確立されて以来、つまり産業ブルジョアジーが社会的生産において重要な地位を占めるようになって以来、地主貴族とブルジョアジーとプロレタリアートと言う三つの大きな階級がそれぞれどのような利害関係を持ち、互いにどのように対立しているかと言うことが非常にはっきりしてきたと言うこと、そしてこのような階級間の利害関係の衝突と政治的諸事情とのあいだにある因果関係も又はっきりと目につくようになってきた、と言うことで有ります。

イギリスとフランスをエンゲルスがとくにあげているように、前述のような意味で連関が単純化してくるのは、資本主義経済体制の形成と発展がはやい国に於いてのことだったのです。
社会的事実がこのように連関を単純化し、階級関係をいわば歴史の表面に押し出したのであり、したがって、ティエリ以下名前をあげられているような王政復古時代の歴史家たちにとってさえも階級闘争が歴史を理解するかぎだということがわかっていた、とエンゲルスは指摘しているのです。

以上をみてわかるように、エンゲルスは階級闘争が歴史を理解するかぎだということをマルクスと自分自身が発見したのだとは言っていません。
彼はあくまでも事実を忠実にのべ、その功績を王政復古時代のフランスの歴史家たちに帰しています。
しかしそれにもかかわらず、階級闘争とはなんであるかを深く理解し、その意義を徹底的に追求し、首尾一貫した理論へと仕上げたのは、やはりマルクスとエンゲルスだったためであり、かれらの努力なしには首尾一貫した階級闘争の理論はありえなかったのです。

――それはとにかく、以上に述べてきたことによって、マルクスとエンゲルスが歴史を階級闘争の歴史としてとらえるのに、なぜ古い時代の歴史からではなく、かれらと同時代の歴史および比較的近い過去の歴史の研究から出発する必要があったか、という理由がわかったと思います。『共産党宣言』は、同時代の歴史を念頭において、簡潔に次のように述べています。

「現代、すなわちブルジョアジーの時代は、階級対立を単純にしたという特徴を持っている。全社会は、敵対する二大陣営に、直接に相対立する二大階級に、すなわらブルジョアジーとプロレタリアートとに、ますます分裂していく」

つまり、マルクスとエンゲルスとは、「これまでの全ての社会の歴史は階級闘争の歴史である」と言うことを公式として前提して、それの現代への適用として現代の歴史をブルジョアジーとプロレタリアートとの階級闘争の歴史としてとらえたのではなくて、階級対立が単純化されている時代である現代について、その具体的考察から、現代の歴史がブルジョアジーとプロレタリアートとの階級闘争の歴史であることをまず把握し、この認識を出発点として過去にさかのぼって歴史的事実を再検討・再認識することによって、多くの表面的事実によって覆い隠されている古い時代の歴史に関しても、その基礎に階級闘争と言う基本的事実があることを確認し、こうした研究の結果到達した一般的結論として、「これまでの全ての社会の歴史は階級闘争の歴史である」と言う命題を導き出したのです。

――それで、次にわれわれは、このような一般的結論にいたる出発点となった現代の歴史についてのマルクスとエンゲルスの見解を、さらにくわしく調べていくことによって、歴史を階級闘争の歴史としてとらえるということの意味をより深く理解することに努めたいと思います。

2、ブルジョアジーとプロレタリアートとの階級闘争

現代の歴史をブルジョアジーとプロレタリアートとの階級闘争の歴史としてとらえるためには、なによりもまず、プロレタリアートを正しく認識することが必要でした。
「プロレタリアートを正しく認識する」といういい方は、この講座を読んでいる人たちにはなにか奇妙な印象を与えるかもしれません。このことばの真の意味を理解するためには、マルクスやエンゲルスの時代に、プロレタリアートは「労働貧民」という軽蔑的なことばで呼ばれていた(『資本論』、第一巻、第七編、第二四章、第六節の終わりの部分参照)ということを知っておく必要があります。

レーニンは論文「フリードリヒ・エンゲルス」のなかで

「当時の社会主義者や一般にに労鋤者階級の味方であった人びとは、ほとんどみなプロレタリアートを災いとしか見ず、工業の成長にともなってこの災いもまた成長していくありさまを、恐怖の念を持って眺めていた。
だから、かれらはみな、どうすれば工業とプロレタリアートとの発達を阻止できるか、『歴史の車輪』をとどめられるか、と考えめぐらしたのであった。マルクスとエンゲルスは、プロレタリアートの発達にたいするこの一般の恐怖とは反対に、プロレタリアートの不断の成長にいっさいの望みをかけた」 

と書いています。社会主義者や労働者階級の味方であった人たちでさえが「災い」としかみなかったプロレタリアートの成長に、マルクスとエンゲルスはどうして「いっさいの望み」をかけることができたのでしょうか。

『共産党宣言』には「今日ブルジョアジーに対立しているすべての階級のうちで、プロレタリアートだけが真に革命的な階級である」と書かれていますが、かれらはどうしてこのように力強く、プロレタリアートの革命性を宣言することが出来たのでしょうか。――それは、かれらがプロレタリアートを正しく認識詔していたからであります。

周知のように、産業革命が最も早くおこなわれ、したがって資本主義的大工業が最も早く発展していたのはイギリスでした。だからまたプロレタリアー卜の「災い」が最も目についたのもイギリスでした。
プロレタリアートを正しく認識する為には、イギリスのプロレタリアートを研究する必要があり、そして極めて熱心にかつ具体的にイギリスのプロレタリアートの実情を研究したのは、若くしててイギリスに渡り、そこで生活することのできたエンゲルスでした。
さきにあげた論文でレーニンは次のように書いています。

――「エンゲルスは、このプロレタリアートをイギリスで、イギリス工業の中心地であるマンチェスターで知った。かれは、1842年にかれの父が出資者の一人であった一商館に勤めて、そのマンチェスターへ渡ったのであった。この地でエンゲルスは、ただ工場の事務所に座っていただけではなかった。
――かれは、労働者が住んでいた貧民窟を歩き回って、わが目でかれらの貧窮と困苦を見たのである。しかしかれは、自分でした観察だけに満足しないで、イギリスの労拗者階級の状態についてかれ以前にあきらかにされた事柄をみな読み、手にはいるかぎりのあらゆる公文書を綿密に研究した。こういう研究と観察の成果が、1845年に刊行された書物『イギリスにおける労働者階級の状態』であった」 と。

この抄本は非常に大きなもの(全集版で300n以上)なので、ここでその内容を紹介することはとてもできませんが、その一端だけを引用しておきます。

――「イギリスの労働者にたいして、貧乏よりももっとひどい堕落的な作用をおよぼしているのは、かれらの社会的地位が不安定であること、賃金で手から口への生活をしなければならないこと、簡単にいえはかれらをプロレタリアにしていることである。
わがドイツの小農民の大部分もまた、貧しくて、しばしば欠乏になやんでいるが、しかしかれらは、偶然に支配されることがもっと少なく、少なくともかれらは、いくらかの堅固さはもっている。
しかしプロレタリアは、自分の両手のほかはなにも持たず、昨日稼いだものは今日食いつくし、ありとあらゆる偶然に従属し、どうしても欠くことのできない生活必需品は手に入れることができるという保障もちっともない――あらゆる恐慌、あらゆる雇い主の気まぐれで、失業することもあるのだ――プロレタリアは、人間が考えることができるもつとも不快な、もっとも非人間的な状態におかれているのだ。

奴隷には、少なくとも自分の主人の私利私欲によって自分の生存は保障されているし、農奴は、とにかく一片の土地をもち、この土地で、少なくともただ生きているだけの生活をする保障をもっている――ところがプロレタリアは頼りになるのは自分自身しかないのに、しかも同時に、自分の力を頼みにすることが出来るような仕方で、自分の力を使うことが出来ない状態に置かれている」。

レーニンは、さきにあげた論文で、さらにこう述べています。

――「エンゲルス以前にも、プロレタリアートの苦難をえがいて、これをたすける必要を指摘した人びとは、きわめて多かった。エンゲルスは、プロレタリアートが苦難する階級であるだけにとどまらないこと。プロレタリアートがおかれている恥ずべき経済的地位そのものが、さからいがたい力でかれらを前へ推し進め、自分の終局的開放のために戦わせるということを、最初に語った人であった。

そして、たたかうプロレタリアートは、自分で自分を救うであろう。労働者階級の政治運動は、かならず労働者に、社会主義以外には自分らに活路がないことを自覚させるようになるであろう。他方では、社会主義は、労働者階級の政治闘争の目標となってはじめて、一個のカとなるであろう。 ………こういう思想が、人の心をひきつける筆致で書かれ、イギリスのプロレタリアートの困苦についてのもっとも信頼できる、戦慄すべき描写に満ちた本のなかでのペられたのである。

…と。
これを読んでわかるように、他の社会主義者たちが、外から助けてやらなければならない哀れな人間たちとだけしかみなかったプロレタリアートを、エンゲルスは「自分で自分を救う」人間たちとみたのですが、このような結論がたんに頭のなかで考えられたものでなく、貧民窟を歩きまわってみずからプロレタリアー卜の生活を観察し、またこの当時イギリスで展開されていたチャーティスト運動の指導者たちとも直接に話しあったエンゲルスのきわめて具体的な研究の結果として得られたものだということが、特にに注目すペきことであります。

このような具体的研究を背後にもっていたからこそ、マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』でプロレタリアー卜のブルジョアジーにたいする闘争を簡潔ではあるが的確に述べることができたのです。
そこにはまず「プロレタリアートは様々な発展段階を経過する」と述べられており、「最初は個々の労働者が、つぎには一つの工場の労働者が、そのつぎには1地方の一つの労働部門の労働者が、かれらを直接搾取している個々のブルジョアとたたかう」ということが指摘されています。
この最初の段階では、労働者の攻撃が生産用具そのものに向けられて、機械をこわしたり工場に火をつけたりすることもおこるのです。

「だが」と『共産党宣言』はのべています。

「工業が発展するにつれて、プロレタリアートの人数が、ふえるだけではない。かれらはまた、ますます大きな群に寄せ集められる。
かれらの力は増大し、そしてかれらはその力をますます自覚するようになる。機械がますます労働の差異を消滅させ、また賃金をほとんどどこでも一様に低い水準におし下げるので、プロレタリアート内部の利害や、かれらの生活状態はますます平均化されてくる。
ブルジョア相互の競争の増大と、そこから起こる商業恐慌とのために、労働者の賃金はますます浮動的になる。機械のたえまない改良がますます急速にすすむ結果、労働者の生活上の地位全体がますます不安定になる。個々の労働者と個々のブルジョアとの衝突は、ますます二つの階級の衝突という正確をおびてくる」。

――ここで注意してほしいことは、プロレタリアートの発展のこの段階では、「ますます二つの階級の衝突という性格をおびてくる」といわれてはいますが、まだ、両階級の階級闘争だとはいわれていないことです。

『共産党宣言』はさらにつづけてこう述べています。

――「ときどき労働者は勝利するが、それは一時の勝利にすぎない。かれらの闘争の本当の成果は、その直接の成功にはなく、労働者の団結がますます広がっていくことにある。
かれらの団結は、大工業によってつくりだされる交通手段の発達によって促進される。交通手段の発達は、さまざまな地方の労働者をたがいに結びつける。
だが、どこでも一様な性格をもっている多くの地方的闘争を集中して、一つの全国的闘争、一つの階級闘争とするには、結びつきさえあれば、それで十分である。
そして、あらゆる階級闘争は政治闘争である」。

――ここではじめて、プロレタリアートの闘争は階級闘争といわれています。多くの地方的闘争が集中されて一つの全国的闘争になったとき、そしてそれは政治闘争にならざるをえないのですが、そのときにそれは階級闘争とよばれるのです。これは十分に注意をはらって読んで欲しい点です。

「これまでの全ての社会の歴史は階級闘争の歴史である」と言われる場合の「階級闘争」とは、正にこのような全国的闘争、政治闘争にまで成長した階級対階級の闘争を意味しているのだということを、前記の文章から読みとらなければなりません。
それとともに、プロレタリアートのブルジョアジーにたいする闘争は、このような全国的・政治闘争にかならず発展するものだということが、「交通手段の発達は、さまざまな地方の労働者をたがいに結びつける」という言葉と「結びつきさえあれば、それで十分である」という言葉とによって指摘されていることにも、あわせて注意をはらいたいと思います。
無理に結びつけるのではなくて、結びつかざるをえないのであります。


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