マルクス主義の哲学は「弁証法的唯物論」と呼ばれます。
弁証法と言うと何となく方法論みたいな語感があって、唯物論と言う哲学的「立場」に比べ、重要さに欠けると思いがちですが決してそんなことは有りません。
弁証法が欠如すると、唯物論も崩れます。その辺も見てゆきましょう。
弁証法を一言で言うと「発展と連関」です。
自然にも社会にも、又人間の思考力にも発展と言う事実があり、又全ての要素はそれだけでバラバラに孤立しているのではなく、お互い複雑に密接に関係しあっています。
これら全ての発展と連関に共通な、一般法則を研究する学問、それが弁証法です。
弁証法と反対の考え方を「形而上学(けいじじょうがく)」と言います。
物事を単にバラバラの要素の寄せ集め、羅列として理解し、発展を認めず、自然も社会も思考も、その歴史はアレコレの出来事の繰り返しだと言う考え方です。
実は唯物論と観念論との対立は、肉体労働と知的労働の分離と言う、社会的、階級的対立を根に持っています(これについてもふれる機会が有ると思います)。
しかし弁証法と形而上学との対立は必ずしもそうでは無いと言うことです。
宗教の中でもキリスト教は、旧約聖書の中で、世界は神によって6日間で作られたと説いています。その後基本的に変化していないし、生物の進化も認めない、と言う立場です(最近バチカンも進化論を認めた、との情報も有るようですが)。これは形而上学的な考え方です。
仏教は「諸行無常」などと言って、この世は常在不変ではなく、常に変化している、と言う考えですから形而上学には反対だと言えます。しかしその変化は、末法思想といって次第に悪くなると言う考えですから、これは発展を認めないと言う点で、弁証法的とは言えないでしょう。
中世のヨーロッパはキリスト教に支配された世界でした。
その中ではおよそ1000年近い間、来る日も来る日も基本的には同じことの羅列・繰り返しとされ、そしてそれが未来永劫続くとされた訳です。形而上学からすれば当然の帰結です。
これが当時の人たちにとって、如何に退屈で躍動感の無い気分をもたらしたか、底辺で呻吟している農奴たちに取って、如何に救いの無い日々で有ったか想像できると思います。
こう言う救いの無い鬱屈した時代には、魔女狩りなどという、人を陥れて憂さ晴らしをするような風潮がはびこることも又、想像できると思います。
弁証法を哲学として確立したのは19世紀ドイツの、あの偉大なヘーゲルです。
ヘーゲルは世界を、古いものから新しいものへの限りない発展の過程と捉え、その際新しく達成される現実は、古いものの中にあった一切の積極的な要素を踏まえつつ、新しいものの中に吸収し豊かになってゆく。世界の姿、又人間の精神とはそう言うものだ、と説いたのです。
何事も絶対的なものは無く、究極的などというものは無い。 真理の認識と言う哲学の目的は、それを実現してゆく一歩一歩の過程にこそ在るのであって、有る絶対的真理が得られたら、そこで終わり、その先は無いなどというものではないとしたのです。
これが当時のドイツの青年達に、どれほどの躍動感、高揚感を持って迎えられたか、それも又想像できると思います。若きマルクスも又例外では有りませんでした。
しかしヘーゲルは観念論者でした。この点でも又徹底していました。 ヘーゲルの弁証法はこの観念論的体系の中で、いわば窒息状態になります。
ヘーゲルの哲学体系はまことに荒唐無稽なもので、説明をするのも聞くのも厄介なのですが、大雑把に端折って言うと次のようになります。
※ 頭の中だけで考え出される観念論の体系は、往々にして荒唐無稽なものになる傾向が有ります。或いはその危険性を孕んでいます。
唯物論は、客観的実在、つまり現実を一義的なものと捉える立場上、否応無く現実の制約を受けて、その主張は客観性を帯びざるを得ず 、極端な荒唐無稽に陥ることは本来有り得ません。
若し、唯物論を名乗りつつ、その主張が現実離れをしているとき、その「唯物論」は、頭の中で観念的に作り出された「唯物論」です。
以下、ヘーゲルの荒唐無稽さをトックリと堪能して下さい。
ヘーゲルによれば、世界は「精神」のあらわれであり「精神」そのものである、とされます。ヘーゲルはこの精神に「絶対理念」なる名称を与えます。
この「絶対理念」は論理的な理性そのものとされ、絶えず自分をくり広げ、展開し、発展させます。
そしてその「自己展開」の末に「絶対理念」は、ついに自分自身にまで発展すると言うのです。そして同時にその時「絶対理念」は自らを「外化」して自然になる、と言うのです。これがヘーゲルの言う「天地創造」です。
そして、自然に「外化」した「絶対理念」の展開が、つまりは歴史であり、その過程で精神を持った人間が出現し、その人間の精神活動、思考活動と実践活動の発展を通して、最後に「絶対理念」 は自分自身を自覚し完成して行く、この自覚の完成こそがヘーゲル哲学それ自身だ、と言うのです。
ヘーゲルは自身の弁証法的思考方法の中で、絶対的なもの、究極的なものを否定し、限りない発展と革命性を主張しながら、結局は自分自身の観念論的体系の中にそれを押し込めたのです。
一切の「絶対的真理」を否定しながら、自分の哲学こそが絶対的真理の体現だと宣言したのです。
一歩一歩の限りない過程そのものが真理だとしながら、自分の哲学を終着点だとしたのです。矛盾そのものです。
ヘーゲルの矛盾はさらに続きます。
ヘーゲルによれば、哲学者は常に時代の子であり、どんな哲学もその時代を超えることは出来ないとされています。このこと自体は真理でしょう。
賢明な読者はここで気が付いているかも知れませんが、だとすると、ヘーゲルの哲学において、人類が絶対真理を認識するところまで歴史が進んできている以上、現実の人類の社会もまた、それにふさわしい「絶対的な状態」に到達していなければなりません。
つまり、ヘーゲル時代のドイツで実現できそうな何らかの制度を持って、これが「絶対理念」の実現された姿であり、歴史の終着点だと主張しなければならなくなります。
こうしてヘーゲルは、身分代表性議会つきの君主制をもって、完全な政治制度であると結論し、そのつじつまあわせの為に、何故貴族の存在が必然的であるかということを、哲学的に「証明」することさえやっています。
つまりはプロイセン時代のドイツで許容される政治制度を持って、究極の理想制度だとせざるを得ない、ヘーゲルの哲学的体系・構造であった訳です。
ヘーゲルは自分自身の「哲学的体系」に固執したが故に、折角の彼の弁証法がその体系の中で出場所を失い、窒息してしまったのです。
このヘーゲルの観念論的体系を打ち破ったのが、同じくドイツのフォイエルバッハです。
フォイエルバッハはヘーゲル没後10年目に発表した「キリスト教の本質」によって、唯物論を復活させました。
彼はその中で、自然こそが全ての基礎であり、人間も又自然の産物である。自然と人間のほかに、より高い存在―神―など存在しない、勿論「絶対理念」などというものも、と、ヘーゲルの観念論を痛烈に批判しました。
それらは全て宗教的空想の産物であり、人間自身の姿を空想的に反映して作り上げられた観念に過ぎないと主張したのです。
それはあのヘーゲルの「体系」による金縛りから人々を解放し、強烈な印象を与えました。マルクスも又その中の一人でした。
このようにフォイエルバッハは、ヘーゲル哲学の持つ保守的な側面に引導を渡し、これを葬ったのですが、残念ながらヘーゲルのもつもう一つの側面、弁証法という積極的・革命的な部分を正しく継承することをしませんでした。
それとともに又、唯物論そのものも中途半端なものにならざるを得ませんでした。
フォイエルバッハの、この限界、中途半端の一つの原因として、同時代の他の哲学者、科学者達との、活き活きとした討論の場が持てなかったことが挙げられます。
彼の著作「死と不死についての考察」が、キリスト教の教義に反すると言うことで、私講師の職を得ていた大学を追われ、隠遁生活を余儀なくされていたと言う事情が有った訳です。
彼の時代に今のようなインターネットなどが有ったら?
又全く違った展開を見せていたかも知れませんね。
フォイエルバッハはやがて時代の激動とともに、次第に過去の人となってゆきます。
ヘーゲルから弁証法、フォイエルバッハから唯物論と、それぞれの積極的側面を批判的に正しく受け継ぎ、彼らの哲学「弁証法的唯物論」を完成させたのが、マルクスとエンゲルスです。
弁証法的唯物論については、このサイトの中心テーマですから、これ以上ここで立ち入りません。 本論の方でお読み下さい。
次に弁証法の具体的な中身に入りましょう。
弁証法を一言で言うと「発展と連関」だと言うことは上記で述べました。
キリスト教は反対に形而上学的、つまり反弁証法的だということも上記で述べました。
例えば旧約聖書によれば、世界は6日間で作られ、それ以降基本的に発展は無く、歴史はあれこれの出来事の羅列、繰り返しだと言う立場です。
歴史を学ぶ意義はせいぜい過去のあれこれの出来事の中に教訓を見出し、現在の施政や生き方に活かす程度のものでした。
この世の全ての動物や植物も、神が一度に創りそれ以降進化は無い、と言う立場です。人間も神が自分に似せて創りました。
そしてこの立場、創造論を固く信じ、学校教育にも取り入れるべきだ、と主張している人たちがアメリカ南部など、今でも大勢います、ブッシュも本音はそうかも。ものみの塔などもそうですね。
しかし自然科学の成果によれば、地球も太陽系も、約46億年前宇宙空間のガスや塵が集まって出来たものだと言うことが分かっています。
地球も当初生物はいなかったが、今から見れば地獄のような原始地球環境の海の中で、一つの生物が生まれ、それが生物進化の法則にしたがって進化・増殖し、現在の人間にまで繋がっています。
地球上の全ての生物、ヒトもナメクジもチューリップも納豆菌も、全てはたった一つの先祖から枝分かれして来たと言うことが、遺伝子DNAの研究で分かります。
進化の過程で、光合成細菌シアノバクテリアが大繁茂し酸素を作リました。
酸素は海中の鉄イオンを酸化し沈殿させます。オーストラリアのハーマスレーなど、現在の鉄資源は全てその時代の産物です。
地球の酸素、オゾン層も全て地球の歴史の中で、生物が作ったものです。石炭、石油もかっての樹木や動物の化石、遺骸ですよね。
プレートテクトニクスで海底も移動し、大陸さえも動いて衝突したり、離れたりしています。ヒマラヤはインド亜大陸がユーラシア大陸に衝突して盛り上ったものです。
チョモランマの海抜8000メートルを横切るイエローバンドは、もろく崩れやすい為、登頂最後の難関とされていますが、これは海底の生物堆積物が作った石灰岩の地層です。
チョモランマに限らず、地球上の石灰岩、ひいては鍾乳洞、中国桂林の絶景などは全て生物が作ったと言えます。
約500万年前(最近の知見では700万年前とも言われる)、チンパンジーの仲間と枝分かれした人間が、道具を作り、労働によって自然を開拓してきました。
そしてごく最近の、およそ100年くらいの経済活動によって、地球環境が大きく破壊されようとしています。
地球と生物のかかわりをホンの一部だけ垣間見ましたが、一部後退を含め、世界は常に発展、そしてお互いに係わりあっています。どんなことでも何一つ、単独で存在しているものは有りません。それが、自然の、或いは社会の弁証法です。
地球環境の破壊も、その弁証法的連関を全面的に理解せず、利潤追求だけを単独に優先している結果です。
今や地球環境に直接影響を及ぼすまでに巨大化した生産力を、私企業の利潤追求のコントロール下に委ねたままで良いのか、鋭く問われるところです。
そして客観世界が弁証法的であるなら、我々の意識もそのまま弁証法的に客観世界を反映しなくてはなりません。それがつまりは、弁証法的な世界観・哲学です。
そして人間の思考そのものも又、社会と有機的に繋がりそして発展してゆきます。
人間の社会から切り離されて育った、狼少女アマラとカマラは、ついに人間としての生き方を取り戻すことが出来ませんでした。
(最近この狼少女の話が、 真っ赤な嘘、つまり捏造であったらしいことを知りました。若しそれが本当なら罪なことです)
生物の多様性は見てのとおりですが、全て細胞で統一出来ます。しかも細胞を形成しないウイルスを含め、A,T,G,C、4種類の塩基の並び方で記述できるようになりました。人間もウイルスも基礎は共通です。
生物を含め全ての物質は、100種類あまりの原子の組み合わせで説明できますが、その原子も幾つかの素粒子で構成されていることが分かっています。今、さらに基礎的な究極的素粒子の理論化に世界の物理学者は血道を上げています。プランク紐などはその一つの候補でしょう。
光も電波もガンマ線も全ては同じ電磁波です。違いはその周波数だけです。そして電磁波は、イコールエネルギーでも有ります。
この電磁的エネルギー(力)を含め、世界には4つの力があると言われています。重力、電磁気力、強い力、弱い力の4つです。
我々が生きて子孫を残すのも、月が地球を回るのも、お湯が沸いたり、パソコンを使えるのも、全てはこの4つの力で説明できます。これもまた今、1つの力に統一・記述できないかと、世界の物理学者が一生懸命です。
全てこの世界は連関と発展、多様と統一、つまり弁証法の試金石です。
弁証法的な立場に立たずに、物理や化学、生物学或いは社会科学などの実証科学を理解することは、ますます出来なくなってきました。
同時に実証科学の発展は、その一般法則である弁証法をより豊かにし、より普遍性を高めます。
マルクスは英国博物館の図書館に20年間通い、当時の人類の到達点を全ての自分のものにして、その成果を基にしてあの「資本論」を書いたといわれます。
我々凡人は、とてもマルクスには遠く及びませんが、「マルクス主義」を理解すると言うことは、自然科学や社会科学への興味と無縁ではない、と言うことだと思います。マルクスの言う「人間について興味の無いことは無い」姿勢を持ち続けたいものです。
観念論的体系の中に、弁証法が窒息死してしまう例を上記ヘーゲルに見てきましたが、次にここで、弁証法が欠如したとき、唯物論さえ貫けなくなると言うことについて、「発展」と「連関」の両面から見てゆきましょう。
始めに「発展」の見地を欠如したときの例から見て見ます。
フランス革命を思想的に準備した18世紀のフランスの唯物論哲学者たちは、自然を徹底的に唯物論的に理解し、霊魂の不滅や神の存在を否定しましたが、しかし未だ社会を唯物論的に理解することができませんでした。
その理由の一つは、かれらの唯物論が形而上学的であった、つまり、発展の見地にたっていなかった、ということです。
それは当時の自然科学の制約とその影響がありました。
自然科学は古代ギリシャに始まりましたが、古代ギリシャの哲学者達は、自然を全体として連関と運動・変化において捉えており、素朴では有るが弁証法的な世界観を持っていました。
しかし、自然を研究するには、その全体の姿を捉えるだけでなく、それぞれの部分・要素を全体から切り離して、細部を緻密に研究する必要が有ると言う事情から、17-18世紀の諸科学、特に自然科学において形而上学的研究手法が主流となり、その考え方が哲学にも持ち込まれたのです。
自然も当然発展しているのですが、自然の変化・発展には非常に長い時間が掛かるので、発展の理論を持っていなくても、つまり弁証法的な考え方をしていなくても、自然をある程度まで正確に(勿論完全にではないけれども)研究し理解することが出来ます。
だが社会は、わずか数千年のあいだにも非常にに大きな変化・発展をするので、弁証法的な考え方に立たない限りこれを正しく唯物論的にとらえることができないのです。
十八世妃、フランス革命を思想的に準備した啓蒙主義者たちは、哲学的立場としては唯物論者であり、革命的な人たちでしたから、現存のフランスの社会制度を誤ったものと考えており、これを変革しようとして闘っていました。
しかし、上記の事情から彼らは弁証法的では有りませんでした。つまり歴史を発展過程としてとらえなかったので、過去の一切は誤りであり、不義・不正であると考え、それを一挙に覆して、理性的な正しい社会をつくろうとしたのです。
ではどうすれば正しい社会がつくれるのか。
過去が不義・不正の歴史であったのは、人々が迷信など正しくない観念をもつていたからである、だからこれらの正しくない観念を一掃して、人々が理性的な考えを持つようになれば、正しい社会が生まれる――彼らはこう考えました。
つまり、人々の観念が変われば現実の社会制度が変わるという訳です。これが、観念が元のもの、支配的なものだと考える、観念論的な歴史観であることは、言うまでも有りません。
この考えに、彼らの第二の誤りが結びついています。
それは、彼らが大多数の人間をどう見ていたか、と言うことに関係しています。
彼らは、人間にとって生活条件・生活環境がどんなに大切かと言うことを知っていました。
長時間で過重な労働、狭くて不潔な住居、貧しい食物――このような条件のもとで多くの人々が生活している限り、盗み、泥酔、喧嘩などの道徳的退廃が大衆の中に広がることは避けられません。
つまり、環境が悪いと人間は悪くなるのです。これは確かに、唯物論的な人間の理解です。生活条件を改善しないで、ただお説教を聞かせても人間は良くならないのですから。
しかし、この重要な生活条件の改善を誰がやるのか、という問題で、フランスの唯物論者はつまずきました。彼らの考えは、先に述べたように、人々の観念を変える事によって、歴史・社会を変えようとしていたのですから、大衆はただ環境の作用を受ける受動的なものと見なされており、すぐれた少数の識者によって良い法律が作られ、これによって社会環境が変えられることに期待せざるを得なかったのです。
つまり、発展の見地が欠如したとき、唯物論もどこかに行ってしまうのです。
さて、マルクスとエンゲルスの時代は、前述のフランスの唯物論者たちが活躍した時代より約100年のちです。
1831年にはリヨンで最初の労働者の蜂起が起こり、1838〜1842年にはイギリスで最初の国民的労働運動である「チャーチスト運動」がその頂点に達していました。
いまや、労働者階級は、他人によってその生活環境を良くしてもらうことによって初めて良い人間になれるような、受動的な大衆ではなく、自分の力で社会的環境を変えて行く力を持つ、変革的実践の主体として歴史の舞台に登場していたのです。
マルクスとエンゲルスはこのことに注目しました。これは世界に於ける人間の役割と言う、世界観的な問題の捉え方の転換を意味します。
労働者階級としての人間は、その労働と階級闘争とによって、世界を変革する力を持っている。マルクスとエンゲルスは、先の世界観的問題をこのように積極的・肯定的に解決したのです。
そしてこのことは、彼らが労働者階級の立場に立ち、その歴史的な役割を理解したからこそできたことなのです。同時にこのことは、彼らがフランス唯物論者たちの一面的な人間観を克服したことを意味します。
「人間は環境によって変化させられる」、「人間は環境に働きかけてこれを変化させる」この二つの側面を連関において、すなわち弁証法的にとらえることが出来なかったので、フランスの唯物論者たちは前の方の側面だけを切り離し、これに固執したのでした。
マルクスとエンゲルスがこの一面性を克服できたのは、彼らが弁証法的な考え方をしたからこそです。
さらにこのことは、歴史の唯物論的理解と繋がっています。
人間を、その労働と階級闘争とによって世界を変革するものだと捉えたからこそ、歴史は人々の観念の変化によって(これを根本動力として)発展してきたのでなく、労働する人間の自然を変革する力の高まりと階級闘争とによって発展してきたのだ、と言う歴史の唯物論的理解が可能になったのです。
次に連関の見地が欠如したときどう言うことになるか、について見てみましょう。
あのオウム真理教のスポークスマンで有った上祐 史浩についてです。現在はアレフの代表をしていますね。
弁証法の連関的見方が欠落するとどうなるか、と言う点で、絵に描いたような例だと思っています。
サイトでの彼のプロフィールを見ると………、
1962年、福岡県に生まれ、81年に早稲田大学入学し、情報技術、人工知能を研究し、87年に、同大学院を卒業し、宇宙開発事業団に入社したが、その後、真理の法則の実践に目覚め、出家を決意した、となっています。
「宇宙開発事業団」と言えば、ロケットや人工衛星を打ち上げることを主な仕事としているところでしょう。少なくとも一般日本人のレベル以上の科学的知識を持っていたはずです。
特に、ニュートン力学の万有引力の法則は熟知している筈です。そうでなかったらロケットを軌道に乗せることなど到底出来ません。
そうであれば、当然麻原 彰晃の「空中浮揚」なるものが、万有引力の法則に背反し、絶対にありえない現象だということを誰よりも理解している筈です。明らかに矛盾している二つの事柄を、なぜ彼は矛盾と思えなかったのか。
おそらく彼の科学的知識は弁証法的ではなかったのでしょう。ロケットを打ち上げる時には、その科学法則に依拠していたかも知れないが、それはあくまでバラバラな知識の寄せ集めでしかなく、全て連関しているものとして(つまり弁証法的に)とらえていなかったのです。
従って、本来少し考えれば直ぐ「オカシイ」と思えるようなことが、彼の中では矛盾なく両立してしまったのだと考えるしか有りません
。
このように、弁証法が徹底されていない時、折角の科学的知識(その点では唯物論的な立場)が生かされず、結果としてオウム真理教などと言う最悪の観念論的立場に身を置くことになってしまったのです。
全てそうですが、弁証法が徹底されていない時、唯物論も徹底されません。
もっとも上祐が、麻原のいかがわしさを知っていて、なおかつ自分の教団内における立場向上を目指し、それを利用していた、と言うことであれば、それはそれとして(良い、悪いは別として)納得できます。
この事情は単に上祐やオウムだけの問題では有りません。
昨日(2004/9/21)だったかの新聞に、小学生対象の地動説についての質問で、地球が太陽の周りを回っていると言う正解をした割合が、4割だったか6割(今新聞が手元に無い)と言う記事が有りました。
学校教育自体が、本当にバラバラな知識、企業の目先の役に立つだけの知識教育になっているのです。
自然と社会の真の姿とその連関を全面的に意識に反映する、この弁証法的な立場が今本当に大切だと思っています。
かって哲学は、万学の女王として全ての諸科学の上に君臨するものとされていました。
世界についての知識が乏しかった時代、事物とその連関について不明な部分を頭の中で考え出し、繋いで行くしかなかったのです。それが哲学だった訳です。
そのため哲学は哲学者の頭の数だけ存在しました。曰く「プラトンの哲学」、曰く「カント哲学」、曰く「ニーチェ哲学」等など。
しかし今、世界の姿はそれを研究する実証諸科学自体の力で明らかにされるようになって来ました。頭の中で「考えだす」理由も必要もなくなって来たのです。
頭の中で紡ぎ出される余地が失われるにつれ、哲学は次第に眠り込むようになる、と言うのが弁証法的唯物論の主張です。
後になお、哲学として残るものが有るとすれば、弁証法と形式論理学だろうと言われます。
思考そのものと論理学の研究は、他の実証科学に解消するのでなく、哲学の仕事として残るだろうと言うことです。
「マルクス哲学」とは、マルクスの言ったことを単に暗記して述べることではなく、実証諸科学に立脚し、世界の正しい理解を目指す、その立場です。
マルクス自身、自分の主張を「マルクス主義」として教条化されることを何より戒めています。
大急ぎで弁証法について述べてきました。しかし弁証法はこれだけではありません。
「量から質への転化」「否定の否定」「対立物の統一」「真理」「必然性と偶然性」「現実性と可能性」「特殊と普遍」等など。
弁証法の定義として、
「発展と連関」より「運動と連関」の方が良い。と言うご意見がありました。
「弁証法を一言で言うと『発展と連関』です」と書きましたが、「運動・変化・発展と連関」としても、勿論構わないとは思います。
しかし「発展と連関」で、特に問題を感じないんですが………。
発展は運動を含みます。運動無しの発展は有り得ません。発展は弁証法と切り離せません。
勿論一時的な、或いは部分的な後退は当然有り得ます。しかしそれを克服しての発展は世界の必然です。よく言われる「螺旋的発展」ですね。
その発展の展望を示しているのが弁証法であり、歴史に適用された史的唯物論だと思っています。
逆に 投稿者さんの言われる、「運動と連関」でも間違いとは言えないかも知れませんが、若し「発展」に対立するものとして「運動」を言われるとしたら、これは明らかに間違いだと思います。弁証法に発展は外せません。
つまり発展的方向を否定しながらの運動は、現状維持か後退しか有り得ません。これは弁証法では有りません。末法思想です。
おそらく 投稿者さんが言われている「運動」は、文面から察するに「選挙運動」とか「革命運動」と言うときの「運動」ではないでしょうか。間違っていたらゴメンナサイ。
哲学で言う運動は、物質のあらゆる変化のことです。
物の位置変化(力学的運動)、熱や音、光(物理的運動)、化合(化学的運動)、進化、生殖、代謝(生物学的運動)、社会の歴史、選挙、革命、労働運動(社会的運動)全て含みます。
>『現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、その必然的没落の理解を含み、どの生成した形態をも運動の流れのなかで、したがってまたその経過的な側面からとらえ.、なにものによっても威圧されることなく、その本質上批判的であり革命的である。』
「資本論第2巻、あとがき」だと思うのですが、弁証法のキモですよね。
「現存するものの肯定的理解のうちに」は、ヘーゲルの「現実的なものは全て合理的であり、合理的なものは全て現実的である」と同じ立場だと思いますが、つまり資本主義が存在するのはそれなりの合理的根拠があり、同時に一見磐石に見えるこの体制の中に、それを否定し、次の新しいものへの発展の契機を含んでいる。
世界を出来上がって固定したものと見るのでなく、生成消滅の不断の変化の過程として理解するとともに、この不断の変化と言うのは、表面的にはどんなに偶然の変化に過ぎないように見えても、又一時的に後退が有ろうとも、それらを通じて結局は必然的な、前向きの発展が貫かれている。
こうした諸過程が結び合って世界は形作られている。
「なにものによっても威圧されることなく、その本質上批判的であり革命的である」とは、「今日なお幅をきかせている古い形而上学からすれば克服できないものとされるところの、真と偽、善と悪、同と異、必然と偶然と言った対立にも、威圧されない(エンゲルス)」。
つまり、人を殺すこと、戦争は悪いことだが、では、かってのあのベトナム戦争で独立の為に戦ったベトナム人民の闘いはどう言うことになるんだ、と言った、形而上学では解決不能な問いに対し、弁証法は威圧されてはならない、と言うことでしょう。
哲学の命題(判断を言葉で言い表したもの)は、もっとも一般的、普遍的なものです。
そもそも「弁証法」とは、と言ったときの、その内容は、例えば日本でもアメリカでもイラクでも、又、古代ギリシャでも現代でも、或いは1000年後でも通用するような定義であることが理想です。
1848年のドイツの特殊事情や、2004年の日本の参院選結果などの、時々の個々の事情によって、その都度、定義内容が変わると言うことは、有ってはならないと思います。
弁証法そのものと、その時々の情勢とは、全く次元の違うことだと思いますがどうでしょうか。
同時に、一般的・普遍的とは言っても、哲学的命題も歴史のある段階で、誰かが使い始めた訳で、カントの言う弁証法とヘーゲルのそれとは違うでしょう。
私は、マルクスやエンゲルスが規定した内容に沿って、「発展と連関」と言った積もりなのですが。
「ヘーゲル体系のなかで始めて――そしてこのことがこの体系の大きな功績なのであるが――自然的、歴史的、精神的世界の全体が一つの過程として、すなわち不断に運動し、変化し、作り変えられ、発展するものとしてとらえられ、提示されたのであり、又この運動や発展のうちにある内的連関を指示しようとする試みがなされたのである。」(エンゲルス-空想から科学へ)。
部分的に、或いは一時的に「発展もあるし衰退もある………」社会ですが、弁証法的発展は真理です。
それはビッグバンに始まる宇宙の物質進化、原始地球の海の中での化学進化、その結果の生命の誕生、その後の生物進化。単純なものから複雑なものへ。
原始共産制から奴隷制、封建制、資本主義へと発展してきた人類の歴史。
創立以来、戦時中の弾圧を越えて、今一時的な後退を含みながらここまで発展してきた日本共産党を持っている日本。
それら全てのことが、弁証法の発展性、連関性を、より豊かに、より普遍的なものにしている訳です。